ドキュメント乳癌・・・・・ 現在の日にちです。
ドキュメント乳癌(乳がん)最新緊急!! 2014.8.7
A.抗ガン剤医療

船瀬俊介氏『抗がん剤で殺される?薬は毒?』
 2014.8.7
抗がん剤で早死にし殺されていたのだと思うと悔やんでも悔やみ切れません


■抗がん剤・放射線で早死にさせている!?
    NHK教育TVは癌に抗ガン剤・放射線を進めていた!!
 
    NHK教育TVの癌放送を信じていました。
    NHK教育TVで早死にしてしまいました。
 2014.7.30
 親戚及び近親者を癌で亡くしました。抗がん剤・放射線投与し全く効きませんでした。
しかしガン細胞は一時的に消えましたが、他の臓器も消えていたようで、その後まもなく
特に痛みなど無かったのですから、半日ドックで乳ガン検診さえしていなかったら、たとえ
乳ガンであっても、知らずに生活をしていれば自然に消えたかもしれないし、もっともっと
長生きしていたと思います。
 船瀬さんのお話をもう少し「早く聞いていれば」と悔やんでます。
 15年前頃にはNHKの教育テレビで、癌には「抗ガン剤」と「放射線」の二つがあると連日
医者が出演して放送していたので信じていました。NHKに早死にさせられてしまいました。
 船瀬さん、これからも医療マフィアと闘ってください応援してます。今の医療は間違っている
と思いました。
 半日ドックの癌検診で見つかる癌は「がんもどき」なのに患者にすぐ手術して抗ガン剤を
投与し、放射線を照射して早死にさせているように思います。
 私の知人も近親者も多くが、手術して、抗がん剤して早死にして殺されていたのだと思うと
悔やんでも悔やみ切れません。船瀬さん宇野さん、コシミズさんらの話は、本当だと思います。


癌ビジネス
  https://www.youtube.com/watch?v=2kVyVklxXM4
抗ガン剤で殺される 船瀬俊介氏 証拠証言集42
  https://www.youtube.com/watch?v=dG8Ow7K4Mas
船瀬俊介氏『抗がん剤で殺される?薬って毒なの?』ダイジェスト版
  https://www.youtube.com/watch?v=sDoLCJWf1Vc
地球維新 vol.1 ベンジャミン・フルフォード No.1
  https://www.youtube.com/watch?v=aRJ02-2Vw9c
「メタボの暴走」船瀬俊介氏 ワールド・フォーラム2008年6月
  
https://www.youtube.com/watch?v=p2QN3_NXlTs



以下は2003年に書いた物です。

(術後1ヶ月半)
 乳房温存による補助療法放射線照射の間  2003,9,30まで

現在女性の乳癌は、20人に1人患者が発生していると言われています。
 現在の人間ドックや通常の乳癌検診では発見されないので大問題となっています。
 マンモグラフなどによる検診方法の早急な対策が必要でしょう。
 この
私の乳癌記録(特別手記)は、乳癌を体験された方が毎日記録された手記です。
  乳癌にも色々な段階や種類によって治療方法も様々ですが日本の最新設備が整った
 超一流の総合病院の名医と言われる医者の診断を受けた患者の手記です。
1、乳癌その1 2、乳癌その2 3、乳癌その3 4、放射線科 5、抗がん剤その1 
6、抗がん剤その2
 7、抗がん剤その3 8、リハビリ
9、転移その1 
10、転移その2
  11.転移その3 
 
つづき乳癌その2

8,22
  (金)
術後
 6週
腋が痛くて診察を待ちに待っていたのに、「痛い」と言うのを忘れた。2週間あいたのでしゃべる事がいっぱいあって・・・あーーあ、ばかなことをした。だって診察室に入ると痛みが無くなっていたのよねえ。夫にメモをしておくようにと言われた。

(もう血しか出ないので水抜きは止めましょうと言われた。)
術後11回目の診察
放射線照射開始1週終了
8,25
  (月)
術後
 7週
予約外に行って、やっぱり診てもらった。水じゃあなかった!先生に悪い事した。だってもう血しか出ないと言われていてその通りだったし。ちょっとショックや。少しぐらい我慢しなさいと・・・うううー!その我慢ができないんだなあ・・・。後半の先生の話も耳に入らず・・何ておっしゃってたのか。もう診ていただけただけで・・・水もないし・・・ぼんやりしてしまった。息子に「あんたの態度失礼やで」と言われてしまった。

ご多忙にも関わらず診ていただき、もうそれだけで眠れそう。先生、ありがとうございました!

帰宅後2時間ほど眠り、泣きながら食事の用意をした。そのまま眠りたかったんだけど今日は夫と息子が休耕田をこの暑い中一日かけて耕し、草刈をしてくれていたのでどうにもならなかったんだよね。・・・これで先生が診てくれなかったらもうパニくっていただろうな。
先生が私の精神安定剤になっている。感謝、感謝。

予約外でも診ていただけた!

(12回目の診察)

8,29
  (金)

術後
 8週


昨夜眠れず、寝過ごす。あわてて病院へ。やっぱり2時間待った。へいき平気。もう生活の一部になっているので、無くなると不安定にまたなるに決まってる。だから平気。

一年前の人間ドッグの乳房の病名「のう胞」について聞く。そして今後について聞く。きっと照射の結果で経口薬投与や注射など・・・まだあるみたい! くーー!!

今度の診察は2週間後だけど、「パニックになりそうや」と言うと「
また、いつでも来たらいい」って!!・・・・・嬉しい!もうこの一言で落ち着く。だって、大学病院って患者との壁が厚ーーく感じられるもんね偉い先生なのに、わたしの性格をよくお解りいただいて、寄り添っていただき本当に有難い事です!だから偉いんだけど)

帰宅するや夫が「おっ!!今日は元気やな・・・」だって。ふふふ。
術後13回目の診察

放射線照射2週終了


主治医は特効薬


8,31
(日)
やっぱり異物がはさまっているようで・・・。あーー!だんだんきつくなっていくようで・・・
行くところ無く、ちょっとつんつんと痛いし・・・。我慢かなあ。        先生助けて!!
9,1
  (月)

術後
 2ヶ月
聞くと腋にあんぱんが入ってるような人もいて・・・ほっ!  でも、わたしのように動かないらしけど・・
固いのは同じ症状やわ。わたしのは変幻自在!いろんなバージョンがあって・・・どうなってるんやろ?
おかしいなあ。ある人は今日まだ34ccの水をとってきたんだって。いろいろや。経口の抗がん剤も同時に
服用しているらしく副作用の話を色々していた。なーるほど!もう何でもええから早く終わってくれえー!!
左乳にも今までに無い痛みがあり(ちょくちょく)、子宮が今日は痛かったし、左目も変なちくっとする痛みが3回ほどあったし、左耳も変・・・。もうどうでもよろしい。はよ終わって!

でも、睡眠薬(錠剤の半分だけ)でよおーく眠っているので、放射線照射後はとおーっても元気。体は正直だ。
私だけのカウンセラーが欲しい!
9,2
  (火)

術後
 9週
もうもうたまりません!もうぱんぱんになり、固く痛く・・・・・さわっても固い。胸にまできており痛い。だんだんきつくなる。せんせーい!      のどに久々の痛みがあった。

診察がないとパニックになっちゃうんだよねえ・・・それにしても固くて痛いわ・・・ううーーー!!
11日の診察まで持たへんよお!
9,4
  (木)
明日診てもらいたいけど・・・予約外に行くって大変なのよねえ。今日無理やり放射線科で診てもらったけど「過敏なんでしょう・・・眠れない程じゃないし」だって。・・・もう解ってくれない!「治ろうとしているんだから、痛いといって腕のリハビリをおざなりにしてはいけない」あああ・・・痛くてできないよお!昨日から胸でも暴れだし、痛いよお!明日行かなきゃあ二日間のお休みだし・・・どうしよう。でも、患者さん達の時間をとるのもダメだし・・・どうしよう!!
to go or not
to go !?

9,5
 (金)
放射線照射3週終了
やっぱり行かなかった。行きたかったけど・・・。先生の顔を浮かべて、ガマンや!!

昨夜4分の一個の睡眠薬で眠れたので、今晩は飲まずに眠ってみようっと。痛みの程度を観察やね。
痛みは気のせいか?
9,6
 (土)
睡眠薬無しで眠る。やっぱ、気のせいなんかなあ・・・。今も痛いんだよ。胸も痛いし。腋に上向きに櫛がはさまれているようだ。運動は頑張ってしているけど。夫は仕事と趣味で、息子は自転車で四国への旅で、だーれもいない。

今までのように約束して食事に行ってしゃべられへんし・・・やっぱ、本やね。この間読んだ本を書き込むのを忘れていたので、まとめておこうっと。

     
P 「生物学個人教授」  岡田節人・南伸坊   新潮文庫   8月20日ごろ読む。おもしろかった。
     Q 「免疫学個人教授」  多田富雄・南伸坊   新潮文庫
     R 「解剖学個人教授」  養老孟司・南伸坊   新潮文庫  
難しいところは流し読みする・・・
     S 「アフリカの燕」  伊集院静   文春文庫   
吹き出すこと多かった
     21 「可愛いピアス」   伊集院静   文春文庫
     22 「わたしのイギリスあなたのニッポン」   高尾慶子   文春文庫
           
高尾さんの本は過去3冊とも読んでいたし、林望さんやマークス寿子さんの本よりずっと痛快。

庭の鬱蒼としたブラックベリーやハーブのカットを小雨の中決行する。猫柳もでっかくなったのでカット。草も気になるけど・・・。
眠れるほどの痛みだったんだよね、うううー!

誰にも解ってもらえない・・どうしよう!



9,8
 (月)
腋の同じ症状のお若い人と遭遇。ご主人が指圧をすると、ぐーっと移動するんだって・・・うんうん。わかる、解る。
でも、私の痛みが愛情にポイントがあったとは・・・とほほ。おっとお・・・いてて。
9,9
 (火)

術後
2ヶ月半
昨夜眠れず4時前に四分の一錠の睡眠薬でぐーーっすり。診察日、早くこおーーい!

    
23 「昭和天皇の妹 なぞにつつまれた悲劇の皇女」 河原敏明 文春文庫  
歴史の裏は深いものがあるもんだ。もう一冊谷崎潤一郎賞になった本をよんだけど宇野千代の作品や「時雨のとき」だっけか・・・なんか主人公の設定がよく似ているようで・・・エッセーかドキュメンタリ−の方がいい。文才あったらっていつも思う。だって放射線照射で待つ間のおばちゃんウオッチングは書き残さないともったいない。ドラマの脚本でもいけるよ。あーーあ、文才ないもんなあ!それより洞察力ないもん。くくっ。

9,11
 (木)

術後
 10週目


放射線照射4週目
放射線科の診察にいき、乳腺科に受付。1時の照射には間に合うと言って頂きましたが、何せ順番とりをしないとダメなので、シャトルバスに乗ってしまったところに呼び出しがかかった。同乗の親切な受付の方に助けていただき・・
なんせ「順番とりのカードを置きに行ってあげますよお。」と言ってくれたんだからねえ。

だいたいが私の名前と顔を覚えてるというのが???あーーあ、きっと5回目に「やったあ!1週間終わったぞお!・・・」と支払いを忘れて帰るやらカードを無くすやら珍しい子どもでもしないような事をしでかしたことが原因やろなあ。はずかしい!!いっぱいの患者さんだもん。覚えるわけない。あーーーあ。・・・でも、今日は電話をかけてくれたり、すごく助かったので、失敗も転じて福や。素直に喜んでおこう。それとも、一番のりで行ってたからかなあ。

・・・何とか順番をとると2番目だった!(シャトルバスって路線がけっこうおもしろかった。患者の皆さん方及び先生にはご迷惑をおかけしましたが)

乳腺科に戻るとすぐ呼んでいただいた。申し訳ないことでした。でも、
2週間ぶりのやっとやっとの診察。嬉しくて痛みが・・・あれれえ、ふしぎい!・・・いつもこうなんよねえ。先生の前では痛みが無くなる。安心するんかなあ。腋の変幻自在の痛みについての説明も聞いてくださったし、嬉しかった。診察室はわたしの癒しの場かな。なるべくなら行かないほうがいいにきまっているけど、行かないと「こころ」と「からだ」が持たへん。2週間は長い。

手術は、今まで考えられなかったもう一人の自分の誕生や。今はまだまだ赤ちゃん。これは何?これは何で?どうして?と聞くばかりの3歳児のよう。強く歩みたいけど、とまどうことやどうしたらベストなのか解らない事が次々と出てくる。今後はどう解決すればよいのか。病気と仕事と家庭と・・・自分と、どう共生していくといいのか。

帰り、初めて四条で降りた。やっぱり丸善に寄ってやっぱり本を買ってしまった。養老さんおもしろい。 

     
24 「バカの壁」 養老孟司  新潮新書


術後14回目の診察(隔週となって2回目)



先生の魔術














9,12
  (金)
今朝、目覚めたら涙が出てきた。・・・何せガマンしてきた分・・・たぶん診察室で泣くんちゃうかなあと心配してたんだけど放射線照射の順番とりでばたばたしたので、診察室に入っただけでほっこりしちゃって・・・今ごろになって涙がぽろり。   昨日から胸までつっぱってきた。怖い!   また、2週間の闘いや。いややーー! 

(夫はもう・・・わき・・わき・・って、聞き飽きたと言う。言って痛みが和らぐならいくらでもどうぞ・・・とも。わきにこんぺいとうの親分のような固い物体がやってきた時、夫に指で触ってもらtうと奥に入ってしまって、まるでオオカミ少年のような気分。あーーあ、誰にも解ってもらえない)

 今度は痛くなくても「痛い!」って言おう。だってもう帰りにはすごいことになっているもんね。ただのわがままと思われているかもしれないから・・・だんだん状況がひどくなり、腕も薬指もしびれてる。照射するごとにひどくなっているから、この先どうなるのか、怖い。・・・まあ、それだけの大きな手術を受けたという証拠なんでしょうけど、痛い!

今晩は漢方薬の霊芝だけ飲んで寝よう。(今通院している病院の麻酔科に居られ外来医長?もされていたらしいH先生が癌になり、これを飲んで良かったからと勧めてくださったので飲んでいる霊芝。)
孤独な闘い 





9,14
  (日)
ただ今TVで「ホームアローン3」を見てる。

二男は卒業旅行の一人旅。自転車で高知へ。そして、鹿児島と屋久島へ。公園や駅で寝泊り。親切な社長の家に台風通過の間素泊まり。毎晩映像つきのメールを送ってくる。今夜も屋久島の山でテント泊。(この間ずっと淋しいと
メールで送り返していたんだけど。ほんと、淋しい分、痛みも倍増したかな。)

研究室からかどこか知らないが、疲れて帰っている長男のおさんどんで三連休は大忙し。

来年から二人。これから何年二人で暮らせるか。残された時間をどう使おうか、もっと考えよう。仕事に復帰したら病気との共生の見通しが持てるような気がする。

・・・・・今週は「わき」って言わんとこお・・・・・っと。
いま




9,15
  (月)

放射線照射4週終了

阪神優勝!

今日は敬老の日で照射が無いのに、リハビリをしっかりし過ぎたせいか・・・腋がすごい事になっている。もう、やけくそ。もう知らん!「わき・・・」って一言も言ってへんよ。でも、どうしたらおとなしくなってくれるのか。こまった、困った

屋久島から「阪神優勝おめでとう」のメールあり、ビデオ撮りがスタート。忙しいわあ。
術後11週終了

明日はどうなるのか!?
9,16
 (火)
放射線照射5週目
放射線照射の待合のすごい情報交流!
わたしもX線照射がそろそろ終わりなので、術後10日の乳房と術後5週の乳房の写真を携帯で見せてあげる。みんなすばらしい変容に驚いていた。でも、みんな老眼だろうし携帯の映像は判別しにくいし、どこまでわかってんだか・・・。(ほにゃらら医院の多くの患者は場所を間違えてんのか、実物を見せ合っている!!それも、CTを撮りにきた死にそうな男性達の前で!)わたしにとってはぎりぎりのコミュ二ケーションや。・・・・・文章力あればなあ、ほんま。・・・・・癌って誰も思ってくれへんやろなあ、私達。
お若い人が「腋の異物感で腕がまっすぐおりず、腕を曲げる事多くなる。ひじが痛い。・・・」と。わたし、このお若い方と症状がいつもピッタリ。嬉しくなっちまう。

こわごわ照射のベッドへ。今日はリハビリをしてないので、今のところ腋と胸はおとなしいけど。「わき・・・」って今日も言ってへんよ。何せ診察の25日まで頑張ることにしたもんね。、先生の顔を浮かべて頑張るンヤ。

通院の電車の中では優勝セールに買うものも無いのに友達と行こうとしているおばちゃんに話し掛けられ、大阪のおばちゃんのパワーを体感。わてもおばちゃんやけどなあ。
帰宅直後に電話あり。職場の同僚が胃がんで手術し退院してきたからと・・・。みんな強いわねえ。
驚くべきおばちゃんパワー

X線照射もあと少し




診察まで頑張ることに

9,17
 (水)
放射線照射22回目

胸と腋にステンレスがガシッとはめ込まれているようだ。残る4回のX線放射でもっと固くなるんじゃないかな。不安。.腕を挙げにくい。・・・・・しかし、今日も照射の待合は、はな?盛り。要するに病院や医者によって処方が違うということ。ほとんど乳房を全部摘出している病院、スプーンがたに切っている病院、乳輪のみ、縫わず接着剤!?のみ。まあいろいろで、今更聞いてもという感じかな。まあ、待ち時間は実際長いんだけど、短いこと。30分早く行っても、2番目だった。・・・帰宅後2時間寝てしまった。・・・心地よく寝る体位を把握。ただし、起きる時は起きにくいけど。コレもメモをしてちゃんと先生に伝えよう。

マーキングの中だけ照射しているということが明確になってきた。そこだけ赤いもん。すごいね、正確で。

今日は植木職人がちゃんと庭の草引きまでしてくれて助かった。もう気になって、ブラックベリーや猫柳を無理してチョッキンチョッキンと届かへんから脚立に乗って切っていたもんねえ。草引きもしたけど続かへん。・・・今日は美しくなって枯れ山水?もそれらしくなって・・・ほんとにおじさんに感謝しなくちゃ。何にも言ってないのに、毎年来てくれているのでピンとくるものがあったのかなあ。明日は玄関の庭をするみたいなので、挨拶をしっかりしておこうっと。だって今までおじさんが庭の草なんて引いてくれた事無かったから。

・・それにしても片付けも草引きもぜーんぶわたしがやっていたのよねえ。軽トラックで畑に運んでいたのよ。ほんまにようやってたわ!やり過ぎや。それらの勲章が癌だなんて・・・ほんまに。でも、家族はわたしという存在が本当に必要なものかよく解ったんじゃないかなあ。みんな思いやりが素直に出せるようになった気がする。(わたしは癌になった意味付けを今考え中だけど)

胸と腋が・・・








庭がやっと





9,18
(木)
放射線照射23回目
昨日CTを待ってた人は、乳癌手術後6年目で肺への転移が発覚した人だったらしい。・・・なんともかとも・・・。手にも浮腫がみられてたそうだ。さあさあ、みんないつもの元気はどこや?・・・・・一日一日の毎日を有難く生きろってことや。それも誰かの為に生きるってことやね。わたしは決心している事があるから、きよしじゃないけど、小さな事からこつこつと頑張る。

今日の照射はマークに合わせる為あっちこっちと身体をいじられ、ついつい不謹慎にも噴出してしまって・・・一生懸命してくれているのに手を止めさせてしまった。あーーあ・・・だってえ、おもしろかってん。思い出しても顔がゆるんでくる。一番優しい真面目な技師なのに、悪い事したな。でも、我慢すればするほど・・・明日どうしよう!!後少しで終わるから浮かれてんのかなあ。めちゃくちゃ嬉しい!腋もすごいけど。

ある人が「昨日腋と胸が痛くてねえ」なんて言ってて、けっこうわたしの症状が皆にもあることがほとんど明確になってきたので、痛みは変わらないけど、やり過ごせるようになった。それに、入浴がまたいいんだわ。照射も20回を超えると何だかんだ言う事がでてくるし、手も挙げにくい。ところが、半身浴をし、浅いもんだから仰向けに肩までちょっとつかると、出てからのリハビリが楽。手も挙がり痛みも無くなる。血行が良くなるンやねえ。

照射が残り少なくなっていることが大きく影響し、身体はしんどいけど気持ちは元気だ。胸と腋はすごい状況だけど・・・。元気な様子を先生に見せたいほど。「わき・・・」ってなーーんも言ってないしねえ。明日、自転車旅行の二男も帰ってくるし。

     
25 「がんと向き合って」 上野創(26才の新聞記者)  晶文社  ファルマシア医学記事賞受賞
すさまじいまでの闘病記。「人は死ぬまで生きる為に生きている」って、あの大石さんの言葉と同じ。人は生きるようになっている。生きる事はつらいもんやとこのたびの乳癌でちょっとは感じた。ほんまに。自死できたらより楽だと思う事も解らなくは無いが・・・。また、誰も独りぼっちで死んでいくんだけど、一人では生きられないって、いろんな意味でよく解る。しかし、かなりリアルで重いなあ。
入浴の効果


あと少し

9,19
 (金)

放射線照射24回目
「腋がへん!」「胸にも兜がパシッとかぶさってるみたい!」会話が聞こえてくる。うんうん・・・わかる、解る。

今、わたしの腋には海のテトラポットがガシッとはまっているよう。(このテトラポットの裏は吸盤がついておりビタッと腋にくっついているねん。)照射直前なんて、先の尖ったヒトデがむんずと胸をわしづかみしているようで、痛かった。(この後このヒトデの端の裏には吸盤がついてビタッとくっつきはじめるんやけどね。)でも、やり過ごすことができるようになった。みんな大なり小なり違和感があるようだ。みんな一緒やということが解ったからね。

照射後、病院から歩いて橋をわたり、息子に教えてもらったちょっとしゃれた花屋さんのカフエへ。マカロニグラタンを注文。一人で食べていたおじさんが支払いを済ませ、コスモスの花を買って乗ってきたらしいバイクの側へ。職人かなあ、奥さんが病弱なんかなあ。古い型のバイクの後ろには発砲スチロールが二つ乗っており、その上にコスモスを乗せようとすると、花屋の店員が花にかぶせるようビニール袋を手渡しに行った。花弁が風で飛ばないように気遣ったんだろう。おじさんは5本のコスモスを前のかごに斜めに差込み直し帰っていった。おとなしげで質素な風貌のおじさんにコスモスはどう映ったんだろう。帰り、わたしも何だか花を買いたくなって、国内産のミニバラを求めた。外側はレモンイエローで内側は山吹色の「さら」という薔薇。帰ってから四角いガラスの花器に入れ、食卓に置く。黄色の薔薇の花言葉は「美」。ここ3ヶ月の間忘れかけていた世界。優しい時間と空間。野にある花コスモスを買い求めるその純で乙女チックな真心が、わたしの心をふわっと包んだんやね。

うんうん、わたしと一緒の症状や!







照射の後


9,20
 (土)
病院に行く度に思う事があった。近代的な建築様式で日本だけでなく世界の先端を進む医学の技術を持つ病院に通院できる自分の幸せを思った。争いの絶えない国では病気の老人や子ども達は少ない医療品で充分な手当てもしてもらえず、家族もなくし、亡くなっている者も多い。わたしが『腋が・・・」と言ってる瞬間も希望もなく苦しんでいる人がいる。もったいないことだ。ここは平和な日本にちがいないが、よくよく考えてみると自分は幸せなんやと、このすばらしい病院の建物など近代的なシステムを見るたびに痛感していた。癌になることと日本の平和とは異質なことだが、考えさせられることが多かった。でも、胸の奥のほうに押しやってチクチクと心の痛みを感じながらも、自分の癌と比べる問題じゃないと思ってきたのよね。現代は生きる事が苦しみを伴う事となることが多い。身体の痛みが心に2倍の痛みを与える事を体感した今、自分の周りに想いを向けるばかりだ。

ずっと思ってきた事
9,21
  (日)
今ユンディ・リーのショパンを聴いている。(もち、12チャンネル)3年前のショパンコンクールもTVで見ていたし、ブーニンの時もこんな感じでTV追っかけをしていたし、夢とか希望が感じられるからいい。まあ、胡麻のかやぶき音楽堂のザイラーさん達のデュオも何回か聴きにいってるけど・・・すっかり忘れかけていた感覚が素直に受容できるようになったような気がする。告知されてより今まで無理に突っ張っていたと思う。しんどいのは止めや。素直が楽。・・・・午前1時にも4チャンネルで万福寺でのユンディ・リーの「ラ、カンパネラ」を聴いた。フジ子・ヘミングさんの演奏と全く違う。フジ子さんのは強烈でうねりが感じられる。へええ、ちがうもんやねえ。りーは、サラッとしてるなあ。

昨夜は久々に睡眠薬無しで眠る。腋の異物が邪魔でリハビリしにくく、右手が背中に回らず。さて帯は結べるようになるのか!?(なんせ吸盤つきのヒトデが腋や胸にビタッとくっついているんだもんねえ)

通院だけの日々で、体重が増えるばかり。どうしよう・・・。食べなくては放射線に負けるように思うし。肥満は乳癌の敵だしねえ。(でも、けっこう肥満ナ人はわたしぐらいだけどなあ)過食も乳癌の敵。食べちゃうんだよねえ。おいしいしね。人に会うと病気のことを聞かれるから散歩がうまくできないし、早起きもできない。生活改善ってできないもんだわ。生活習慣病による癌でもあるので、まだ死にたくないし何とかしなくちゃ。

悩みの肥満










9,22
(月)

X線照射終了!
なんども何度もお見舞いの電話をもらった方とやっと元気に話が出来た。ほっ。

今日は稲刈りなので、何もできないわたしは部屋の掃除と洗濯にばたばた動く。ちょっと胸が痛くなった。その後、いつもは11時30分頃の電車で行き、1時間ほど待って3時ごろ帰宅というパターンだったが、今日は2時半ごろの電車で行き、待ち時間無しの最後のX線照射だった。もう痛くて痛くて帰宅後9時まで寝てしまった。せっかく2晩睡眠薬なしで眠ったのに、昼と夜が逆転しないように工夫しようっと。

夜メールをのぞくと、乳癌になったというメールやら父上が腎臓癌で、10時間の開腹なしの内視鏡切除手術で5センチの癌を摘出し、今その父上のベットの横で送っているというメールやらなかなかの内容だった。その父上は麻酔が切れるや、すぐ歩かれたという。まあ、わたしもすぐ歩きましたが・・・。患者に痛みの無い治療が一番や。
そうすれば、検査にだって病院にだって悩むことなくすぐ行くよね。それにしても今後を思うと胸が痛むな。

やっとやっと





医学の進歩
9,23
  (火)
ライスセンターに持って行ってたお米が乾燥できたようで、夫と二男が取りに行き蔵の茶びつにしまった。(私が嫁ぐまではお茶も作っていたようです。)この重い茶びつを蔵から出して虫干ししていたのは、わたし。乾燥してもらったお米を取りに行くのもしたことあるし・・・ようやってたわ、ほんま。(わたしの実家は高校の教師で農業は全く知らず・・・知らないからできたんですがね)去年はもう右手がしびれていたのよねえ。でも、逆になーんもできないのも困ったもんだわ。奥様ってなかなかできないもんですわ。
今のところ宅配生協で購入してますが、通院の途中で降りて明治屋でちょっとした生鮮食料品を買って帰るときもあるって言うと、二男が「奥様やん!」だって。わたし奥様のつもりだけどさあ、なかなか身に付いた感覚は抜けず、できひんもんですわ。

植木屋さんが気を遣って庭の隅っこに残しておいてくれたハーブなどをチョキチョキすると、腋にすごい塊ができ、あわててシャワーと半身浴をし、横になる。あーあ、なーんもできない。とほほ。やっぱ、奥様になるっきゃないな。

癌が奥様にしてくれる!







9,24
(水)
電子線照射スタート!
人間ドッグでずっと指摘されていたiところに痛みが1年以上あるんだけど、ほっておいたんやねえ。ほんまに後悔ばかり。また、痛いんやわ。夫が明日の診察で言うようにって進めるけど、何となく乳癌の時と同じように、やばい!と感じる。もうこれ以上身体を切り刻みたくない!!


胃にイヤな痛みが・・・!

9,25
 (木)


術後3ヶ月と2日目
今日は9:30予約の放射線科診察に寝過ごしあわてて出かける。10時過ぎに病院に着くと、セーフだったようで、充分しゃべっていただきその後電子線照射でもすぐ照射してもらった。11時ごろ乳腺科に行くと、初診の方か検査の結果か、それとも手術の説明か・・・何せ患者が多いこともあって、待ち時間が長くなりそうだった。前回は、別の病棟にシャトルバスで行ってしまいみなさんにご迷惑をおかけしたこともあって、どんまい、どんまい!・・・・・と余裕でいると、隣のおばさんとしゃべったり、声をかけられたり、・・・・・看護師さんの言葉によると「今日は待ち時間は充実してたようね」という状況でした。(声をかけてきた方は、息子の大學の先生だったという不思議なご縁でもありましたが!)

診察室に入ると、今度こそはぼんやりせずシュミレーションしてきたように(!)言うべきことは頑張って言おうと・・・言ったのですが、メモのノートを見ると箇条書きした内容が色あせて見え、しょうもないんですわ。とほほ。何せ肝心なことがどうしても言えないという論理性欠如人間丸出しやんかあ。感じた事しか書いてなく、思った事など、即メモをしていたんだけど、ここまで来て言うほどのことでもなく・・・あーーあ。腋と胸の痛みを再度しっかり、具体的に言えばよかったな。だって、すごい症状だもん。ただし、食事のときは忘れてるから意識の問題でもありそうだけど。(今夜夫が遅いというので息子とイタリア料理を食べに行ったんだけど、息子としゃべってる間はなーーんも痛くなかったから、やっぱ、意識の問題みたいや。な、なんとお!!)

先生は5時ごろまで続く診察に・・・食事抜きなんかしらねえ。ご苦労様です。だって、すごい人気だもんねえ。というか評判がよろしいようで、予約も2ヶ月先まで埋まっているらしく、手術も一ヶ月先になるようだ。先生の魔術にかかる人が増えて、よかことばい!!

それなのに、職場復帰までの残り一ヶ月は不安でまたまたパニックになること間違いなしのわたしですので、カウンセリングとして一週間毎の診察にしてもらった。だってこの間駅のエレベーターで上がっていると、ふと涙がこみあげてきて悲しいんだわ、何せ。どうしようもなく悲しいのよねえ。なんで私こんな所にこんな時間におるねんやろって。
癌になったショックや、目の前の手術、放射線照射と続く大きな出来事を消化するだけで必死な現実に、何か世間から取り残された思いを感じたのかな。涙は止めましたが、急に悲しくなって苦しかった。まだまだ自分に不安や。

でも、主治医にそれまで受け止めてもらうということは、どうなんかなあ。先生の身体が持たへんよねえ。一人で何役もしなくちゃあかんやんか。ちょっとわたしの要求はピントがずれているかも。でもほにゃらら相談室に行くほどでもないし、かといって家族にはこれ以上心配はかけたくないし。もちろん何となくは言いますが、妻や母としての役割といおうか、役目ってあるし、家のある意味での要にある存在だから、そうそう全部さらけだすことも出来ないしね。まあ、彼らなりの視点でアドバイスももらえて参考にもなるんだけど、患者としての視点は持てないと思う。

やっぱ、ここは主治医の魔術にかかった方がよろしいようで・・・。


15回目の診察(隔週になって3回目)


評判の主治医



電子線照射
2回目

3990円















9,26
 (金)
の午前2時なり
以前息子とドナー登録しようなあ・・・なんて約束していたのに癌になって何の役にもたてなくなった。これもショックだった。でも、世の中のお役にたてそうなお話をいただき、癌になって嬉しいことができた。せっかくのめずらしい体験なんだからこれを活かし嬉しい事を増やしていけたらいい。いただいたおまけの命を人の為に使えるなんてラッキー!!(許可をもらってから後日具体的にお役について書き込みます。)

メールも含めて3時間書きっぱなしなので、ふらついてきました。やり過ぎた感じ。何せ今日は夫が遅いというんで(遅いといっても9時に帰宅。)、息子とイタリア料理を食べに行きしゃべりまくったので、その勢いもあって・・・。

癌になっても役立つ!



同日
 (金)
午後9時
電子線照射のあと、頼まれていたので外科に私の主治医に初診で診てもらう方法を聞きに行って腰を抜かした

日本の大學の先生でアメリカで生まれ育ちアメリカにも家がある方。妹さんが乳癌で自分も何やらあやしいものを抱えている方。私アメリカのおうちに寄せてもらってお世話になったし、力になりたいんですけどね。

だって、私の主治医の患者は多いのは見ただけで解るんだけど、
朝の8:30から食事抜きの夜の8:00まで診ていることもあったんだって!!ちょっとあかんでえ。先生の身体がやられちゃう!神経の使い過ぎで、身体もぼろぼろだと思う。私も仕事の関係で面談をすることもあるけど、ちょっとこりゃあ、私達の命と先生の命が引き換えになっちゃうよお。誰か止めんかあ!!!私の次の診察はやっぱり断ろうかなあ・・・。

先日、政府のガイドラインの変更で乳癌の視触診がダメとなったので、それまで視触診で「大丈夫」と言われてきた人達があわてて病院に走っているんじゃないかなあ。他の病院も今いっぱいの患者らしいしねえ。

先生の命こそ大事なたった一つの命やで!
9,27
  (土)
京都駅9時3分発の電車で日吉町の胡麻へ行く。3ヶ月ずっと電話をし続けてくれた方にお礼も兼ねてかやぶきコンサートに招待。帰ったらしんどくて、頭痛が昨日今日と続けて起きた。すごい痛み。ちょっと昨夜の外食とパソコンと今日の外出とで疲れ気味。病院でのおもしろい話をし、笑い転げたが、ひっじょーに疲れた。このリップサービスが疲れの大きな原因かも。しかし、このしゃべりが疲れるなんて信じられない!3ヶ月ぶりに一日しゃべったからネェ。
ちょっと、強行スケジュールすぎたみたい。

一週間に3日ぐらいで一日に3時間ぐらいしゃべるってな仕事って、ないわなあ。まあ、エンジンかかったら3時間では足りなくなるやろけど。あーーあ、不安やなあ。この上に家事もこなさんとあかんし自信ない。

ステキなピアノ連弾の演奏を聴いたり、いい空気や風に触れて、腋と胸の痛みもどこへやら。でも、びたっとなにやらがくっついておりますんですよ、今も。・・・・・とにかく疲れました。ちょっとやばい。明日は一日寝るぞ!
やっぱり一日は無理





9,28
(日)
美容院は私の漫談の舞台。しゃべると疲れるし、知り合いと会うのがまだ面倒なので、自分でササッと髪をカットした。けっこういいんじゃないかなあ。身だしなみってあるしね。・・・まだけっこうなものが腋で暴れてます。もう!

先生に頼まれた事をもっと詳しくきいておけばよかったかなあ。大丈夫かなあ。今頃になって・・・でも、先生がフォローしてくれるだろうから、まあ、いいかっ。それより、何より、電子線照射の後のスケジュールが気になる。
約3ヶ月ぶりのカット



9,29
 (月)

術後
3ヶ月終了
先生から頼まれていた事があり、寝不足で早起きし電子線照射に出かけたがこんな日にかぎって早く終わり、頭ボヘミヤン。ぼーっといると、東大出て別の大学で今未だ学生をしているという25歳の青年が、照射に来ているお母さんとやってきた。お母さんのことを色々もっと知りたいので話を聞きたいということであった。東京から帰ってきたら母親が元気なので、ガンと言えば死と結びつけるのが普通なのにその死と向き合ってからどう今の自分に持ってきたのかとか、車の交通事故などで即死をするのと癌と告知され転移や限られた人生というリスクを負って死に向かうのとどっちが・・・とか、自分は親の近くで就職するのがいいのかとかけっこう一時間ちかくハイテンションでしゃべり
もうすっかり燃焼してしまった。だって彼の素直な暖かい親への想いが嬉しかったしねえ。ヤバイなとは思ったけど、暇だったしねえ。約束の12時まで2時間あったもん。(予感は当たったけど・・・わてが悪かったんですが)

やっぱり、最悪でした。

先生に木曜日に医療大學の学生に患者としてしゃべってくれないかという事を言われた。研修中のようでしたが。もっと詳しく聞いておけばよかったし、わたしらしく漫談にちょっとぐらいなってもいいか聞いておけばよかったなあ。失礼があってはいけないと自分がひいてしまって全然のれず、学生からも気を遣っているのか反応無くドつぼにはまった。顔を見れば聞きたいと思っているかいないか解るもんね。スタートで、もうあかん、こんなんしゃべるつもりなかったやん!と思ったけど、どんどん・・・。あがったのかなあ。消化不良でスッキリせず。感覚が鈍ったはずないしねえ。失礼しました!!

告知をされて手術までのことをしゃべればよかったのにね。今頃思い出したわ、先生の言葉を。ほんとに頭ボヘミアンでした。

一応しゃべったことを記録しておきます。学生の質問に答えた事も含めて書きます。

@癌の告知を受けてから手術までが短期間(私の場合は2週間)であり、インフォ−ムド・コンセントなんてもってのほかで、何が何やら全くわからず、情報を探すのに必死で泣く暇もなかった。つまり、癌って何か、乳癌って何か、どんな症状があり、どんな治療法があり、どんな・・・今何をしたらいいのか・・・と解らないことばかりであった。夫はインターネットで毎晩検索をし、それを読むので必死だった。また、何が辛いかと言うと、一番幸せにしなくてはならない家族を癌と言う罹患で不幸せにしてしまったことが辛かった。姉の夫が病院に行ってすぐ「一週間単位と思っていてください」と言われ、手術後3ヶ月で亡くなりましたので、夫のあわてようは大変でした。長男も泣きながらTELをしてきましたし、ショックは大きかったと思われる。代替治療にも行き、漢方も買った。このようにバタバタ過ごし、術後から癌になった事を実感するというように気持ちが後から押し寄せてくるA癌の告知については、以前より癌になるんだったら、今まで弱かったところの胃がんか、子宮ガンか、乳癌か、それか、脳のほうかどれかだなとは思っていたので、そうかという感じだった。(ほんとはもっともっとすごい状況だったのですが、言えませんでした。B癌患者は、特に女性は妻であり母であり、仕事の顔も持っており、夫や子どもの前で病人になれず、職場でも病人でいられず、病人としてのわがままを言えるのはきっと主治医か看護師の前だけと言う事もあると思う。だから忙しいのは解りますが、少しでも寄り添っていただけると有難いです。手を握るとか、背中をさするとか、「痛い」と言えば「うんうん痛いよねえ」と繰り返し、まず、受け入れてほしい。以前出産の時、破水をしてベッドに持つところも無かったので看護婦さんの手をつかむと、振り払われました。まあ、あの性格ならそうやろとは思いましたが。C乳癌の手術後はほとんど何も痛くなかった。女性にとって女性のシンボルである乳房をとるということは大変な想いである。わたしは大きな乳房で学生時代にトゥイッギーという胸がぺッちゃんこのモデルにあこがれわざわざ下着を小さめにして小さくみえるようにしていたほどで、もう十分でしたので今回も胸を全摘してもいいと思うほどでした。夫などに勧められ可能ならば温存し、ダメならば全摘にしてくださいと言って手術をしたが、術後残っていたことを知り、涙を流すほど嬉しかったくらい女性には大切なものだった。・・・・・その他何を言ったのか思い出せない。あがり、気分がのれず、自分にイラっとしながら、先生に引っ張られるように教室を出ました。しっぱいだった!!生徒にも感謝の言葉を伝えられなかった。・・・・・初めの挨拶が抜けたのが失敗のもと。順番がくるったわ。自分を取り戻せなかった。私が一番悪かった。

聞きたいことをしゃべってないのが今解ったわ!  あがったとは・・・・ちょっと頑張らんと職場復帰できへんなあ!何せお行儀よくて、笑顔で、姿勢もよく・・・・・来るとこ間違ったわと思ったとたん頭真っ白!横向いているのをこっち向かすのはお手のもんやけどさあ。まいったぜ!!!

先生本当に授業をかき回しすみませんでした。ちょっと雰囲気を悪くしごめんなさい!・・・・・これがわたしだす!


放射線照射
29回目











めずらしい体験





































9,30
 (火)

放射線照射終了
X戦照射の終わりもそうだったけど、また、電子線照射の終わりも何か事情があって遅く来て欲しいということでゆっくり出かけた。すぐ照射してくれた。お世話になった照射線技師の似顔絵を書いて、その印象も書いて「ありがとう新聞」を渡しておいた。アングラ的な感じでいつも裏で頑張っているようで何かいい風を贈りたかったしね、おばちゃんたちのしゃべりのうるささと共に昨日あの青年と私もついついしゃべってしまったのでお詫びも兼ねたというとこかな。たまたま昨日の青年のお母さんがいて話していたとき、技師たちがにたにたしていたので、けっこううけたかも。

何でもたのしまなくっちゃね。ふふふ。・・・・・・・・でも、昨日の授業で反省した分やっぱり「治療と患者の気持ちがずれること」「身体は治ろうとしてても心は逆に傷ついていくこと」をプリントにして持って行った。告知から手術までは「癌て何?」「乳癌って何?」「どういう癌が普通の癌で進行性の癌や余命一週間の癌と違うのか」「手術にはどんな方法があるのか」「どんな時放射線をあてたりや抗がん剤を飲んだりするのか」・・・情報収集で泣いてられへんよね。・・・・あーーあ、もっともっと詳しく言ってあげればよかった。しゅんたろうや!これらのことを一応読んでいてもインフォームド・コンセントになるとまたまた最高にキンチョ−ルや。先生の説明の一言一句を聞き逃さないように混乱状態のぐちゃぐちゃの頭でまたまた必死に聞いて理解せなあかん。まあ、普通じゃないわなあ。家族全員で聞いても理解の相違があるしねえ。
もういい医者に当たるしかないねん、究極は。病理検査の結果がでるまでが地獄やけどね。

あっ、それとすごい発見をしたもんねえ。もう病院長に投書でもしようかなって思っていたら、たしか3階だったっけか図書コーナーがあったのよねえ。こんだけ長時間の待ち時間をどうするの、図書館があったらなあ・・・もちろん自分でも持って行ってるけど・・・続きを次に読むのも楽しいやんかあ。子どもを連れている人もいいしねえ。でもちょっと
行って雑誌を見ていたら、少ないのよねえ。そこに点滴をがらがらと引きながらお母さんと子どもが来て、絵本を読んでいた。ほっとするよね。寝転んで読めたらいいのにね。でもでも、いろんな意味で嬉しかったわア。

帰りそのまま大阪の姉の家に術後初めて行った。手術前に癌をさわったくせに、見せるとさすが触れなかった。マーキングが痛々しかったのかなあ。一人前5千円の和食を二人で日航で食べた。やっぱり疲れた。姉は医学部にまだいる息子にため息をついていた。

今日NHKのクローズアップ現代でも研修医についてやってたけど、教育も医学も内容はまったく異質で比べるものではないけど、二つとも過渡期やねえ。制度化が後手後手になってるもんね。産みの苦しみやね。医師や看護師や教師に実践力をいかにつけるか、課題やねえ。要するに即戦力をどうつけるか。相手の人間をどうみつめてどう把握して基本的にヒトとして人間としてどう対応したらいいのか、イメージ化と判断力と行動化が問われるわなあ。

この間イタリア料理店でしゃべってた時の事。二男が特攻隊の碑かなんかある「ちらん」というところに自転車旅行の時に寄ったらしい。彼らの遺書を読んだら、戦争に賛成では決してないけど、俺は今遺書を書けと言われたらあんなふうに書けへん。親をはじめヒトを大事に思う心が俺らの年代は弱いとつくづく思った。何でやと考えたら、道徳教育が弱かったんじゃないのか・・・と。親としてぐぐっときたけど、お互い親子ということを抜きにして、同感や。戦争はいけない、絶対。でも、その戦争はいけないという言い方や見つめ方を間違って伝えたと強く思う。個人的にまるで違う見方をしてきたので、くやしいほど。家族からスタートして次に学校や地域という大きな集団で思いやりを学ぶんだけど、ずっと身近にこの思いやりの程度の変化を見てきたので、つらいわ。

基本って大事や。医者様も看護師も教師も大學では人間の基礎までは作れない。それまでが大切。ほんとに、みんなわかってんのにね。どうにもならんことはないはずやから・・・。気付いた者ががんばるっきゃないかっ!小さなことからこつこつと・・・やね。一人でも育つと良しとせんとやってられへんわなあ。教育は10年後20年後に成果が出てくるから、土を耕す事と種まきだけはわたしらが頑張ってやっておかないと、せめて。・・・・なんでも世の中最後は人間性にもどるのがミソやね。

私の主治医はすごいわ。忙しいのに授業を工夫し(それなのにわてが邪魔してにゃア・・・とほほ)、できないこっちゃ。あの子達はきっと育つよ、先生の情熱の分。

教育の話になると止まらへん。頭ふらふらしてきたのでねようっと。あっ、そうそう、今日また乳腺科に行きたいけど何処の病院がいいのかというメールが入ってきた。政府のガイドラインが出てから多いなあ。五つの各病院の案内だけ平等にしておいた。ヒトによって価値感は違うもんね。自己責任や。
終わった!









見つけた!





















私達に出来る事は迷わずやるのが次世代へのメッセージ










 乳癌その3へ  放射線科へ 抗がん剤  リハビリ  トップ アイコンHPトップ 乳癌topへ


  ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。rk
  
copyright(C) 2000 R KAll rights reserved.